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2008/10/24  発信者:

私的トリナビ(その4)


チェルフィッチュ『フリータイム』




公演日:9月27日、28日 開演:14:00、18:00 横浜赤レンガ倉庫1号館3階ホールにて
(主宰:岡田利規 1973年神奈川生まれ、横須賀在住)

製作:チェルフィッチュ
作・演出:岡田利規
出演:山崎ルキノ、山縣太一、足立智充、伊東沙保、安藤真理、南波圭

 9月27日、岡田利規率いるチェルフィッチュの公演を鑑賞しました。チェルフィッチュとは、英語の”selfish”(自分本位の意)の幼児語で、1997年に設立されたまだ新しい演劇ユニットです。

 公演の2時間前から70席の整理券が配布されるため、さらにその30分前くらいから列に並び、ようやく34番の整理券を手に入れました。この人気から「時の人(ユニット)」らしいと期待感が高まります。開演まで他の展示を見たり空腹を満たしたりして待ちます。

 さあ開演、舞台はとあるファミリーレストラン。テーブルと4脚の椅子4セットが、通常のテーブルの高さが65cmだとしたら50cmくらい椅子とともに舞台に埋まっているように作られています。水の入ったペットボトルを持った20代くらいの出演者6名が入場し、「フリータイムを始めます。」と開演宣言があり、かつてない始まり方に虚をつかれました。

 ひとりが、そのレストランで働く西藤さんというアルバイトの女性の話を始めます。ひとりはテーブルにノートをひろげボールペンで渦巻きを延々と描き続けています。ひとりがしゃべり終わると、今度は別のひとりが、終電に間に合った話や酔っ払いがホームのベンチで寝入り占拠してしまった話を始めます。それが終わるとまた別のひとりがアフロヘアの人についてしゃべり出します。次の人は西藤さんにお代わり自由ではない一杯160円のコーヒーを注文しているようです。中にはマイクを使ってしゃべる人もいます。それぞれの話題はひとりでだらだらとしゃべり続け、会話として成立していません。しかも、台詞は「〜っていうかぁ」「それでぇ〜」「〜ですけどぉ」「〜しなくてぇ」「〜かなぁと思ってぇ」のように少々苛立つくらい現代の若者言葉の特徴をよく捉えています。更に、人の話をよく聞いていないのかと思わせるかのように、ひとりが以前に話した内容を別の人がその人の言葉で再現し、話が完結することはありません。また、台詞を発しながら手足をふらふら回したり、腕を伸ばしたり、テーブルの上に乗ったりと台詞と全く整合性が取れない不自然が動きをします。台詞がお休みの出演者は寝転がったり、舞台から降りたり、そでに隠れてしまったり、ペットボトルの水を飲んだりと勝手気ままに振舞います。

 現代の若者の日常生活を切り取ったかのような断片が散りばめられており、若者ぶって言えば、「グダグダ」の芝居でした。もちろん、そのように演じられた芝居です。それは将来に希望が持てない現代社会を映し出しているかのようです。舞台セットもごくシンプル、ストーリもなく、台詞も振りもわざと洗練させないという、これまでの演劇の常識を打ち破るスタイルのように強く印象付けられました。「フリータイム」と「チェルフィッチュ」の言葉の意味をまさに表現したもののように感じました。

 「フリータイムを終わります。」と閉演宣言があり、最後まで虚をつかれ通しでした。